木漏れ日 オリーブ

記憶の欠片を綴る

all the long nights

2024年2月9日 映画館へ足を運ぶ。

映画を観終えて外に出たときにみた街の風景を、陽の光を、私は忘れないだろう。

感想を綴っておきたいのに感情が先走ってしまいタイプする手が追い付かないという事象が起き幾日も過ぎてしまった。

余韻、というものが静かにずっと私にあるのだ。

その中のエピソードを一つ記録しておこうと思う。

それは一回目の鑑賞を終えた夜のこと。

家に帰り普段の日常をこなしてどんどん現実に戻されながら湯たんぽのお湯を沸かしている時だった。

ふと、ラストの山添くんのモノローグが頭の中に流れてきて涙が零れた。

お湯がぽこぽこ湧くのを耳にしながら、涙が止まらくなる。

そしてこの瞬間に私の中で何かが繋がったような感覚があって、ぐっと手繰ってみるとそれは瀬尾まいこさんの原作『夜明けのすべて』水鈴社さんから発行されている単行本でいうと265頁にある山添くんの独白の部分、それが浮かんできたもんだから涙がさらに零れた。

ここは原作のなかでも特に私が大大大好きな文章の一つでもある。

それを読んだ時と同じ気持ちに包まれたのだ。

藤沢さんと山添くんだった。

そこからより一層、映画の『夜明けのすべて』原作の『夜明けのすべて』

が私の特別な一本、一冊になった。

 

そして『夜明けのすべて』というタイトルの隣にいつもさりげなくある英題。

映画を観るまえは“ほうほうそう英訳するのか”くらいの気持ちだったのだけれど、

公開日に映画館へ行き、観終えて受け取った余韻を抱えながらの帰り道

“all the long nights”がいよいよ軌道に乗り動き出した感じがした。

後に三宅監督がまさにこの質問に答えているのを拝読し、よりこの英題であることの

意味が深まった。

『夜明けのすべて』まだまだ綴っておきたいことがあるので、ゆっくりでも記録していけたらいいな。

 

2023.7.13.THU

あるんです。

手元に。

小説版『キリエのうた』が。

ここ数日、ページを読み進めていくか否かの只中に居る。

原作があるのであれば先に読んでも構わない人だけれど、

今回ばかりは違う。

あまりにも想いがイロドリドリに自分の中で展開していて、

着地できないでいる。

 

そして、『キリエのうた』公開三ヶ月前の今日、朝から物語の欠片たちが

一気に集ってきた。

いま頭の中はピッチが制御不能になった夜のメリーゴーラウンドみたい。

不穏で不気味でなんとも美しい。

 

いましばらくは、公式から発表される欠片たちで夏を越えていこうと思う。

 

Happy Tomorrow

この週末に最終回を迎えるドラマ『日曜の夜ぐらいは…』

 

第四話のラストがとても好くて、四話を繰り返し見てしまう。

“連続ドラマ”というものの良さが感じられるシーンだったな、と。

週に一度の物語が積み重なり、それが結晶となったような。

 

あの時のみねくんがさ、本当に良かった。

そして、みねくんを演じている岡山天音さん。

好い。

私は『家族狩り』の実森くんを必ず思い出す。

しゃくり上げるくらい泣いた。

忘れられないドラマの一つだ。

 

記憶に残っている映画やドラマ、本のことも綴っていけたら。

この流れであれば『彼女たちの時代』と『永遠の仔』。

 

『彼女たちの時代』は『日曜の夜ぐらいは…』と同じ

脚本が岡田惠和さんで、女性三人がメインの…て長くなってしまうから、

まずは『日曜の夜ぐらいは…』の最終回を見届けよう。

 

 

 

2023.5.10.WED

新たなうれしい一報。

7月クールのドラマ『ノッキンオン・ロックドドア』に出演とのこと。

(個人的にオフィスクレッシェンドの文字は熱い)

 

改めて私がいま一番みたい役者・松村北斗

はじまりは“雉真稔”その人で。

 

2021年の私は何もかもが動かない、動けないような状態で、

目に映るものや思考もすべて仄暗かった。

好きな音楽も聴けない、本も読めないような日々が続いている中で、

何か以前と同じことをひとつだけでもいいから続けられないかと漠然と思って、

それが録画した連続テレビ小説をみることだった。

ただ音は上げることはできなくて消音で。

そしてその日が来た。

菓子屋たちばなの暖簾をくぐって来たひとりの青年。

衝撃だった。

まるで夏の日盛りまでも引き連れて来たかのようなその人に、その姿に、

それまでずっとずれていた私のピントが合うような感じを覚え、

思わずリモコンに手を伸ばし、テレビの音量を久しぶりに上げたのだ。

あの瞬間、私は私の再生ボタンを押せたのだとおもう。

 

そして“稔さん”を待つ、ということが私のささやかな明日への繋がりになった。

やがてドラマは最終回を迎え、夢中だった数ヶ月を振り返りながら、

強く想い出されたのはやはり“稔さん”だった。

と同時に稔さんを演じた彼のことが気になった。

とてもいい役者さんだと思ったし、この先を楽しくおもえる役者が現れた感じがした。

この時くらいからかな、篠田さんが撮る彼をみてみたいと想ったのは。

だから岩井監督の作品に出演する事実にいまだ震える。

 

現時点で彼の出演映画は二本控え、7月からはTVドラマも始まる。

それは私にとって灯台のようなものなのかもしれない。

 

いま『キリエのうた』『夜明けのすべて』に辿り着けるように、

私は日々の凸凹を踏ん張りながらこなしている。

 

 

 

 

 

2023.4.20.THU

 

岩井俊二最新作『キリエのうた』の一報。

そのはじまりのはじまりの中に、 松村北斗 の名が連なっていた。

泣いた。

松村北斗、彼は私がいま一番みたい役者だ。

その理由の一つに、ずっとずっと浮かんでは消える想いがあって。

それは、篠田昇の撮る松村北斗がみたいということ。

だけど

それは

どうしても叶わない。

 

どんなに時が過ぎようと、篠田さんの撮る世界は私には特別で、

色褪せることはない。

その篠田さんの映像との出会いの起点に岩井監督が居る。

 

この日提示された彼のポートレートは“完璧”と言ってしまえるくらい

私の想い描く岩井監督の映画の住人そのもので息をのんだ。

まだまだ『キリエのうた』の輪郭は捉えられないけれど、

岩井監督がほんのり話してくださったりし始めていて

これからどんどんカタチが、色が、みえてくるのだろうな。

束ねていこう。

 

そして2023.4.20.THUからずっと在る想い。

油断すると目頭に熱をもってしまうから、まばたきを多めにする。

いまはただのんびり空を仰いで

『キリエのうた』の撮影中から公開までの道中、

どこか遠く遠く上の方で、と

気配をそんなfairy taleを少しばかり信じてもいいようなそんな気がする。

 

十月を待つ